煩悩(捨てるべき心所)

i. 煩悩は、唯識では<根本煩悩>と<随煩悩>に分けられる。
ii. <六根本煩悩>は、1貪、2瞋、3癡、4慢、5疑、6悪見であるが、悪見をさらに5つに分けて<十根本煩悩>という時もある。
iii. <六根本煩悩>とは
1) <貪〔どん〕><瞋〔とん〕><癡〔ち〕>
(a) 三不善根とか三毒といわれ、すべての煩悩の源となる。
(b) <貪>は、自分と自分の境遇に執着すること。
(c) <瞋>は、自分の気に入らぬものに腹を立てること。
(d) <癡>は、物の道理のわからぬ愚かさのこと。
(e) 自分も自分の境遇も、様々な条件、出会い、関わりなどによって存在しているに過ぎない。<空>であり<無常><無我>である。
(f) <癡>は、存在の真相を見えなくし、<無常><無我>に対して不変的実体の虚像を描いてしまう。
(g) <無常><無我>の真相が分からないから、<貪>がおきる。
(h) 自分の真相が分からず、自分でない自分に執着しているから、<瞋>がおきる。
2) <慢〔まん〕>
(a) 高慢な思い。思いあがって他を見下す心作用のこと。
(b) <慢>の詳しい心所は、第七末那識の<七慢>参照。
3) <疑〔ぎ〕>
(a) 真理それ自体を疑い、ためらうこと。
4) <悪見〔あっけん〕>
(a) 在るものの真相を見ず、自分の願望や主観で、自分の気に入るように見ること。
(b) 無常だ無我だと、否定的一面だけを見ること。
(c) ⇔<善見><正見>(在るものをそのまま見る)
(d) 「顚倒推度てんどうすいたく」とは、さかさまにものを考えることで、善見(正しい見方)と悪見(さかさまな見方)とを対照的に見ている。
iv. <十根本煩悩>とは
1) <六根本煩悩>の<悪見>を、さらに1薩迦耶見、2辺見、3邪見、4見取見、5戒禁取見の5つの顚倒見に細分したもの。
2) <薩迦耶見〔さつがやけん〕>
(a) 自己の真相(無・無我の自己)が分からず、自分のことにこだわっている自己中心的なこころのこと。
(b) 不愉快な思いの根元は、たいていこの自我にこだわる心にある。
(c) <癡>と<薩迦耶見>は表裏一体の関係にある。
3) <辺見〔へんけん〕>
(a) 一辺に固執する偏った見方のこと
(b) 原初的意味は、死後、命は存続するか断滅するかの、一方のみを絶対とするものであった。
4) <邪見〔じゃけん〕>
(a) 因・縁・果の法則、存在の真相を否定すること。
5) <見取見〔けんじゅけん〕>
(a) 存在の真相を知らないのに、自分の見方や考え方を絶対視すること。
6) <戒禁取見〔かいこんじゅけん〕>
(a) 苦行、行動への執着のこと。
v. 根本煩悩は、<分別起>と<倶生起>に分けられる。
1) <分別起〔ぶんべつき〕>の煩悩
(a) 成長過程の中で習得する後天的な煩悩のこと。
(b) 間違った思い込みの性質が強いため、それに気づけば消える。
2) <倶生起〔くしょうき〕>
(a) 本能的に持っている先天的な煩悩のこと。
3) 十根本煩悩との関係
(a) <分別起>のみ…疑、邪見、見取見、戒禁取見
(b) <分別起><倶生起>両方…貪、瞋、癡、慢、薩迦耶見、辺見

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