唯識とは

i. 現実の自分を、立ち止まって凝視することから始まる。現実の自分とは、自分の根底(無)の部分を含む存在全体の働きを自覚することである。
ii. 欲望や性格を否定せず、人間すべてを受け入れて問う仏教である。
iii. 唯識は三蔵法師の説いたものである。三蔵法師は、弟子入りした慈恩大師の三事の欲を許した。
iv. 自己をどんどん新しいものに変化し、再創造させる<有>の仏教である。
g. 現実の人間存在は、不安と愛の両面を併せ持っている。自分の不安部分を見つめ受け入れてこそ、根底にある愛の部分にも気づくことができる。
h. 唯識学全体を明らかにするために、多くの議論が行われた。これは、唯識が締め付けや固定化した思考停止のない証拠である。
i. トラブルは自分の力で乗り越えなければいけない。その境遇に負けてしまうのは、自分の精神力の弱さである。
j. 赤ん坊が両足で歩くために何度も失敗を繰り返し乗り越えるように、人生とは、自分で立ち自分で歩くという気構えが根底になければならない。
k. 成唯識論とは、《こころ》である。こころを凝視し、空の自分に覚醒して、喜怒哀歓の自分を吟味する仏教。
l. 《こころ》の仕組みを理解すれば、自分を客観視ながらゆがみを軌道修正することができ、限りなく豊かな《こころ》にすることができる。
m. 《こころ》の仕組みを知ることで、新しい道を見出せる。
n. 悩み苦しむ理由がわかり、自分が何をどう苦しんでいるのかを発見すると、徐々にその苦悩から逃れることができる。
《こころ》は身近にあるものだが、そこに多少でも狂いがあったとき、真摯な毅然とした態度が必要である。
o. 《こころ》の中には、立ち上がるための力がある。自らの精神で克服していこうと努めれば、その力は強くなっていく。
p. 《こころ》も、身体同様に強く柔軟に鍛えなければならない。
q. 「すべての人の苦しみや悩みを救うことこそ、おのれの使命」 (相田みつを)

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