阿頼耶識の第一の性質 現行薫種子〔げんぎょうくんしゅうじ〕

1) 仏教では、私たちの行為を身・語(口)・意の3業と呼んで3面から捉えるが、その3業のすべてが阿頼耶識に蓄積されている。身は身体で行う行為、語は言葉の行為、意はこころの行為である。
2) 阿頼耶識には、親や先祖、民族の長い歴史の行為までも蓄えられている。
3) 蓄えられている過去の行為の残影を「種子〔しゅうじ〕」と呼ぶ。
4) 「種子」が阿頼耶識に蓄えられることを「薫習〔くんじゅう〕」という。
5) 人柄やその人の香りは、阿頼耶識に薫習された種子が根本的なよりどころとなって作りだされている。
6) 「現行薫種子」とは、身・語(口)・意の種子が阿頼耶識に薫習されることである。(→すべての行為が深層の阿頼耶識に蓄えられるということ)

阿頼耶識

i. 阿頼耶識は、インドの「アーラヤ(住居、貯蔵所)」の音写である。
過去のすべての経験と、現在と未来を作り出す力が蓄えられている。
ii. 阿頼耶識には三つの性質がある。一、過去の行為の残痕を蓄える。(現行薫種子)二、蓄えられたものによって現在や未来が変わる。(種子生現行)三、自我として実在化され、固定化されて執着の対象となる。

心王(八識三能変)表層と深層の絡み合い

i. 人間の<こころ>は、表層と深層が重層している。
ii. <こころ>は、表層から深層、深層から表層への2方向から捉える。
1) 表層→深層は、外の情報を受け入れていく受動的な一面。
2) 深層→表層は、深層が表層を支え動かしているという一面。
iii. 第一眼識~第五身識は、五感と呼ばれる感覚作用であり、一括して「前五識」と呼ばれる。
iv. 第六意識は、推理・判断・想像・洞察などの知的要素や、情緒、情操などの感情、意思意欲などすべての精神機能を含む広範囲な作用の<こころ>である。
v. 第七末那識は、潜在的な意識下の利己性、自己中心的な思い。
vi. 第八阿頼耶識は、過去を秘匿する潜在的な自己の深層。
vii. 一つのものを見たり聞いたりするときも、今日までの自分が総合的に働いている。
viii. 八識の<識>は<こころ>のこと。
ix. 使い分けは、識=了別(物事を区別している)、意=思量(いろいろに思いはかる)、心=積集(過去を集積し保持している)である。
x. 第一眼識~第六意識までを、<識>と呼ぶ。
xi. 第七末那識は、いつも利己的に思いはかるので、<意>と呼ぶ。
xii. 第八阿頼耶識は、過去を溜め込んでいるので<心>と呼ぶ。